昨日で3月11日から49日が経ちました。
東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
一ヶ月前の3月27日~28日と、仙台市に住む友人の支援のため、仙台市に行きました。
その際、友人の案内で甚大な被害に見舞われた仙台市若林区荒浜地区を訪れました。
一面、未だ残る海水と瓦礫の山。住宅はどれ一つとして原型を留めるものはなく、殆どは基礎の部分を残したのみで、津波の脅威に唖然として、言葉が見つかりませんでした。
200人~300人ものご遺体が上がったと言われる砂浜に行きと、そこにあるのは荒れ狂う海ではなく、あまりにもの静けさを取り戻した海でした。自然の前に為す術のない小さき人間の一人として、ただただ頭を垂れ、御霊に黙祷を捧げました。
帰り道、あたり一面瓦礫の中、夕焼けに浮かび上がる小学校の建物が目を引きました。
後日、ネットで検索してみると、動画やニュース記事で小学校にいた先生や子どもたち、ここに駆け込んだ住民たちは屋上に避難して助かったと知りました。
http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY201103120543.html
昨日は、地元小学校のPTA歓送迎会が行われ、前PTA顧問として出席しました。
開催するべきか中止するべきか、PTA会長は悩みに悩んだ結果、開催すると判断したと挨拶で述べていました。
会の最後の締めをお願いされ、どんな挨拶をするべきか思いを巡らしたとき、ふと、上記のことを思い起こし、挨拶の中で触れました。
『…。学校というのは、いざという時、正に地域防災の拠点となっていますが、平素は町や国の将来を担う子どもたちを教え育む大事な拠点である、と認識を深めました。
地域の絆や家族の絆の大切さが改めて叫ばれている今、小学校でのPTAの果たす役割はますます求められています…。』
一国が、隆々と発展していくか、やがて衰亡していくかは、その国の青年たちを見ればわかると言われます。
戦前・戦後と時代を区分した昭和であり20世紀でしたが、平成であり21世紀の初頭の今はまた、震災前・震災後と時代を区分するような大きな節目に立っています。
ともすると気持ちが沈み込んでしまいそうな只中ではありますが、こういう時だからこそ、これまでの閉塞感から抜け出して大きく飛躍できるように、未来ある子どもたちを今まで以上にしっかりと育てていきたいと決意を新たにしました。
“ほめことば”のもつ力に着目した取り組みを紹介しています。
普段、何気なく使う言葉ですが、相手にどんな言葉を発するかによって、自ずと相手に抱かせる心持ちが違ってくることを改めて教えられます。
相手にネガティブな思いを抱かせる言葉を発してしまったとき、実は、発した本人の思いも影響を受けて更にネガティブになるという話をどこかで聞いたことがあります。
“ネガティブスパイラル”に陥らないように、言葉には気を配りながら暮らしたいものです。
ほめ言葉のシャワー(デジタル百万石)をご覧ください。
先日、中学校のPTA会長をしている友人から新入生へのメッセージを教えてもらった。
学校のホームページを見ると、教育方針にはこう記されている。『向上の喜び、困難を克服する楽しさの体験をとおし「夢や希望・生きる力」につながる教育活動の推進に努める。』
『困難を克服する楽しさ』と聞いて、すぐさま先回の日記にも記したランディ・パウシュ教授の言葉を思い起こした。
「レンガの壁は、僕の行く手を阻むためにあるんじゃない。その壁の向こうにある何かを自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているんだ」
PTA会長のメッセージには、新しく中学生活が始まる生徒たちの心の扉を一つ一つ丁寧に開きながら、困難を克服した向こうに待ち受ける何かを確信し果敢に挑戦する勇気を与えたい、熱い親心を感じた。
その彼も、今日4月22日、PTA総会で後任者へバトンタッチをすると聞いた。新入生の記憶に、そして魂に刻み込まれたであろうメッセージをここに記録として記したい。そして、共に未来を担う新中学生たちにエールを贈りたい。
頑張れ、全国の新中学生!
<新入生へのメッセージ>全文
新入生の皆さん・保護者の皆様、本日はご入学おめでとうございます。保護者の皆様にはこれから三年間PTAとしてお世話になります。高いところからで大変恐縮でございますが、今現在の○○中の良い状態を少しでも継続していけるよう努力してまいりますのでご理解を賜りご支援ご協力をお願いいたします。
ご臨席の来賓の皆様。本日は大変ご多忙の中入学式にご出席をいただき誠にありがとうございます。今年もこうして新しい子供たちが入学してまいりました。この子たちのためにこれまでと変わらぬご支援をお願いいたします。
校長先生をはじめとする学校関係者の皆さま。今ほど将来に対して責任を持つ若者が必要とされる時代は無い様に思います。多感な時代を過ごす子供たちを正しい方向に導いて下さいますようお願い申し上げます。
さて、新入生の皆さん。皆さんに一つお話をする前に皆さんのお父さんとお母さんの事について考えてみましょう。
皆さんが生まれたばかりの時はほとんど何もできませんので2時間おき、3時間おきのミルクをあげたり、何度もおしめを替えたり、泣き始めて寝かしつけるのに時間がかかったりして十分な睡眠時間も取れないようなところからスタートします。
少し大きくなっても突然高熱が出たり戻してしまったりして当番医を探してあわてて駆け込む事もありました。
小学校に上がってからも遊びに行ったまま帰ってこないと心配したり、怪我をして大騒ぎをしたり。皆さんを今日まで育てるまでには沢山の手間と、時間とそしてお金もかかりました。
では何故そんな大変な思いをしながら皆さんを育ててくれたのか考えた事はあるでしょうか?何か得をすることがあるのでしょうか?そういう訳ではありません。その答えは一つしかありません。それは皆さんが喜ぶ姿、皆さんが成長していく姿そのものが喜びだからです。
誰かが喜ぶ姿を見て、それを心から喜ぶ事ができる、そういう自分になる事。これを大人になると言います。
皆さんはこれまでお父さんやお母さん、先生方など大人の人たちから沢山の事をしてもらいながら今日まで成長してきました。しかし中学校に入学した今日から皆さんは少しずつ大人になるための努力を始めなければなりません。それは誰かを喜ばせたい、誰かのために何かをしたいという気持ちを持って毎日の生活を送る事です。
学校に来た時は友達の為に、先生の為に、先輩の為に。皆さんが進級した時には後輩の為に。家に帰ってからは兄弟の為に、お父さん・お母さんの為に、おじいちゃん・おばあちゃんの為に、ご近所の人の為に、親戚の人の為に。
皆さんの前に自分で選ぶことのできる2つのクラスがあったとします。一つは一人一人がお互いの事を考え協力し合う気持ちを持ったクラス。もう一つは一人一人が自分勝手な事を考えていてバラバラなクラス。どちらのクラスが居心地が良く、どちらのクラスが体育祭やコーラスフェスティバルなど力を合わせて何かをする時に良い結果を出す事が出来ると考えるでしょうか?恐らく協力し合う気持ちを持ったクラスだと思います。しかしこうしたクラスは最初から準備されているわけではありません。皆さん一人一人が意識し、努力をして初めて造り上げる事ができます。また、そうした努力を重ねることで皆さん自身も大きく成長する事が出来ると思います。
今東北地方を中心に大きな災害が起こっていることは皆さんも聞いていると思います。そしてこれからも、日本だけではなく世界の色々なところでこうした事は起こってくるだろうと思います。そんな時にこそ心から誰かの為に進んで汗を流す事の出来るそういう皆さんとなって下さい。
これから三年後皆さんが○○中を卒業していく時、今日と同じように沢山の人に見守られる中、立派に成長した姿を喜ばれ、祝福されて此処を巣立っていくようになる事、これから始まる三年間が皆さんにとって何時までも忘れる事が出来ない素晴らしい思い出に彩られた三年間となる事を願い、私から皆さんへのお祝いの言葉といたします。
「夢を叶える道のりに障害が立ちはだかったとき、僕はいつも自分にこう言い聞かせてきた。レンガの壁は、僕の行く手を阻むためにあるんじゃない。その壁の向こうにある何かを自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているんだ」
死を目前にした一人の大学教授は、学生に向けてこう語りかけた。
その言語は、自分の人生をこんなにも素晴らしいものにしてくれた人々への感謝であふれていた。
その一人の大学教授の名前はランディ・パウシュ(Randolph Frederick Pausch)。
1960年10月23日にメリーランド州ボルチモアで生まれ、2008年7月25日に47歳の若さで妻と三人の子どもたちを残し、膵癌からの合併症で亡くなった。
パウシュは2006年9月に自身が膵癌の末期症状にあることを知り、2007年9月18日に「最後の授業:子供時代に抱いた夢の実現(The Last Lecture:Really Achieving Your Childhood Dreams)」という名前の授業を行い、それはYouTubeで映像が配信されメディアに取り上げられた。その後、同じテーマのジェフリー・ザスローとの共著『最後の授業 ぼくの命があるうちに』を発表した。
動画、ランディ・パウシュの「最後の授業」9(続きを読むをクリック)の中で、パウシュはこう締めくくる。
今日のテーマは 夢の実現 他の人の夢の手助け ― 僕が得た教訓でした。
頭のフェイントに気が付きましたか?
夢の実現を題材に生き方の話をしました。
正しく生きれば人生の歯車が回って夢は実現します。
頭のフェイントは もう一つ。
この講義は僕の子供たちに向けたものです。
ランディ・パウシュとジェフリー・ザスローとの共著『最後の授業 ぼくの命があるうちに』
Amazon 商品の説明 内容紹介より
全米600万人が涙した、ある大学教授の「最後の授業」
今日の次には明日が来て、その先にも新しい日が待っている。そうやって、当たり前のように人生は続いていく。しかし、これから先もずっと続くと思っていたその人生に「終わりの時」があると知ったとき、あなたは何を考えるだろうか――。
2007年9月18日、ペンシルベニア州ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学の講堂で、1人の教授が「最後の授業」を行った。教授の名前はランディ・パウシュ。46歳。最後の授業をするにはまだ若すぎるパウシュだが、彼にはこのとき、長年親しんだ大学に別れを告げざるをえない事情があった。膵臓から肝臓へと転移したガン細胞。医師から告げられた命の刻限は――「あと3カ月から半年」。こうしてパウシュの最後の授業は始まった。スクリーンに映し出された演題は『子供のころからの夢を本当に実現するために』。それは、「最後の授業」であると同時に、幼い3人のわが子に遺すためのメッセージだった。
パウシュが幼いころに抱いた夢は、たくさんある。無重力を体験する。NFLの選手になる。ディズニーのイマジニアになる……。そのほとんどは実現し、いくつかは失敗のうちにも自分を成長させる糧となった。パウシュは言う。「夢を叶える道のりに障害が立ちはだかったとき、僕はいつも自分にこう言い聞かせてきた。レンガの壁は、僕の行く手を阻むためにあるんじゃない。その壁の向こうにある何かを自分がどれほど真剣に望んでいるか、証明するチャンスを与えているんだ」。
両親の教え、家族の愛、同僚たちの支え。そうやって、人は人と関わりながら生きていく。自分の夢を叶え、周りの人が夢を叶える手助けをすることで、明日を生きるエネルギーを手に入れる。人生の幕切れがそう遠くないと知りながらも、パウシュは自分を「本当に幸せ者だ」と言う。最後の授業は、自分の人生をこんなにも素晴らしいものにしてくれた人々への感謝であふれていた。
講義を終えたパウシュを迎えたのは、講堂を埋めつくした聴衆のスタンディングオベーションだった。全米中のメディアがこの授業について報じ、2500万人以上がテレビ番組でパウシュの姿を目にした。インターネット配信された講義の模様は、600万ものアクセス数を獲得した。
この本は、パウシュの最後の授業の記録であり、「つづき」でもある。講義を行うにいたった経緯、講義では語られなかった家族への想いなど、新たに書き下ろされた部分も多い。読む者の心に残るのは、「死ぬ」ということではなく、「生きる」ということについての、パウシュの力強いメッセージ。夢を実現することの大切さ、人生の喜びについて、ユーモアあふれる語り口で講堂を沸かせたパウシュの息づかいが、ページをめくるごとに伝わってくる。DVDには、日本語字幕のついた「最後の授業」が収録されており、笑いと涙で包み込まれた講堂のライブ感が味わえる。
http://goo.gl/VjRK4
<巻頭言>より
学校や家庭で、自分の役割を果たしていること、人が認めてくれていること、教師や親に信頼されていること、等を知らせることで日々の生活の価値に気づくことができよう。
時は、新学期。子どもが、自分の役立つことは何かを考える時期である。学校や家庭で、子どもの活躍の舞台をつくろう。人は、人に役立てることで、前向きになる。それができてこそ、学力も生きた力となろう。学力の真価は学ぶ力にあり、一生を通じて自分にみがきをかけていくものである。
●家で残業をしていると、「ごはんができたヨ~」と書斎に子どもたちが飛んで来る。
三歳の末の子(四男)と小学校に入学したばかりの三男とが先を争うようにして、晩ご飯の準備が整ったのを教えてくれる。四男は負けん気が強く、三男に先を越されるとしばらく機嫌が悪く、時には晩ご飯が喉を通らないことも。
まだ何も分からない幼児だと思っていたらとんでもない。子どもは、肌で親からの愛を敏感に感じ取り、また、親が喜ぶ姿を見て、自分自身が役立っていることに喜びを見出している。改めて、人間の偉大さを教えていただいた。
● En-ichi教育フォーラム、月刊En-ichiのご紹介、購読のお申込フォーム等はこちらまで。一部ですが、最新号の立ち読みもできます。
「今日、この道徳の授業を聞けて良かった」「人生で大切なことを学んだ」「節電する」「募金する」「東北の人たち、すごい」「そうだ、日本は、一つのチームなんだ」
この動画を見た小学5年生の子供たちの感想文より。
担任の先生は道徳の授業を前にして、「この事実を何とか子どもたちに正しくしっかりと心にプラスになる形で、伝えるものはないか」と、授業の教材として相応しい東日本大震災をテーマにした動画をYou Tubeで探しに探されたそうです。
子どもたちの反応は、感想文に見られるように、みんな真剣な顔で見てくれてとても良かったとのことです。
復興には多くの労力と長い時間がかかるかもしれませんが、たとえ長い時間がかかったとしても、しっかりと魂の教育を受けた子どもたちが、未来の日本を支える若者として活躍するに違いありません。
私たち大人は、彼らにしっかりとバトンタッチすることができるように、今日という日をしっかりと生き、肥やしになれるように頑張りたいと思います。
ありがとう、子どもたち。
投稿者: landyaku | 作成日: 2011/03/14
東北地方太平洋沖地震で被災された方、復旧活動に取り組まれてる方、何か力になろうとしている方の誰かひとりでも温かい気持ちになってもらえたらと思い作りました。
評価の高いコメント
今まで抑えてた涙があふれた。どこかで悔しいと思ってた。 災害は仕方ないけど、多くの人の命が奪われた悔しさ。 原発の脅威にさらされる悔しさ。 日本円の暴落。日本は大丈夫なんだろうか?という海外からの声への悔しさ。 でも、絶対大丈夫。どこかで思っていた自信は何だったんだろう。 この動画を見て確信した。 日本人ということの自信だった。 戦後の日本を復興した先人たちがいることの自信。 日本人は粘り強く、負けない、屈しない。大丈夫。 派手じゃないけど、心にもった芯の強さはどこにも負けない。 頑張ろう ALL FOR JAPAN!!
mtanak29 1 か月前 54
俺は、中2のとき 大阪で、阪神淡路大震災を経験した。すげー怖かった。いつも強気で人に迷惑かけたり頃の時に『怖い』と思った。そのときは、本当の人間の気持ちを感じた。俺ってホンマは弱い男だってことが分かった。タンスが倒れてこないように・・・兄弟母親を守り3人でマンション出た。泣かないと決めた。
泣いたら男の恥とも思った。しかし、泣いてしまうよ。
ホントに泣いてしまった。久しぶりに、オカンの胸で泣いた。
今回の東北地方太平洋沖地震で被災された方々、そして日本頑張ろう!
亡くなられた方々の分まで・・・
sumebamiyakoosaka 1 か月前 22
4月11日(月)、月に一度行われる民児協の定例会に出席しました。挨拶、協議事項と進み、最後の報告・連絡・その他の時間に、民生委員・児童委員及び主任児童委員の平成22年度一斉改選状況の報告がありました。
全国で定数233,905名に対し充足率は97.7%、5355名の欠員が出ているということでした。平均年齢も、三年に一度行われる一斉改選の度に上がっているとのことで、平成13年度:59.7歳、平成16年度:61歳、平成19年度61.7歳、平成22年度(今回):63.1歳と大変な勢いの様子でした。
後に、都道府県によってどれくらい偏りがあるのだろうかとネット検索してみたところ、驚くべき格差があることを知りました。10万人当たりの民生委員・児童委員数を比較してみると、上位・下位の主だったところは次の通りです。
上位は、1)高知県305.9人、2)島根県305.8人、3)秋田県297.6人、4)山梨県285.0人、5)鳥取県270.3人。
下位は、1)東京都79.8人、2)神奈川県123.7人、3)千葉県137.3人、4)埼玉県143.8人、5)大阪府145.6人。
(ブログ<となりの芝生>より)
そもそも、果たして民生委員・児童委員は必要なのか?と問われれば、(私はまだ経験が浅い立場ですが、)間違いなく必要です、と答えます。民生委員・児童委員なくして社会福祉は成立しない現実が目の前にあります。
阪神淡路大震災や、この度の東日本大震災の報道を見ると、ボランティア精神が日本にも文化として根づいてきているように見えますが、一方では、廃れてしまっているのか、あるいは、高齢化社会に追いついていけていない現実を目の当たりにしています。
教育の現場において、他者の為に生きることを喜びとする生き方やものの考え方を教えることが急務と感じています。また、社会福祉だけではやはり社会は成り立たないように思います。まずは、三世代が共に暮す伝統的な家族の尊さをもう一度見直し、家族の絆を強化する必要性を痛感しました。
●ブログ<となりの芝生>
こちらで、全国の10万人当たりの民生委員・児童委員数をご覧になれます。
http://www.tonashiba.com/ranking/pref_welfare/welfare_p/16010020
●厚生労働省 社会・援護局関係主管課長会議資料より
<平成22年度民生委員・児童委員一斉改選状況>
http://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/kaigi/110307-1/dl/04_08.pdf
通販で注文していた本が届きました。
「行為の意味-青春前期のきみたちに-」です。
「こころ」はだれにも見えないけれど「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど「思いやり」はだれにでも見える
ACのCMとしてTVで度々流され、ポピュラーになったこの一節。
もとの詞の題名が、他ならぬ「行為の意味」であり、掲載された本の題名も「行為の意味」。
この詩を作られたのは、埼玉県羽生市弥勒出身の詩人・作詞家である宮澤章二先生。私の母校である羽生小学校でも昭和16年に教鞭をとられ、校歌も作詞された方なのです。
贔屓目を差し引いたとしても、母校の校歌は大変素晴らしく、心を打たれます。
それで、詩集「行為の意味-青春前期のきみたちに-」を読んでみたいと思いました。
じっくりとはこれから読むこととして、さっそく「行為の意味」を読み、その後をぱらぱらとめくって見ました。そこで、ハッとした一節が目に飛び込んで来たのでご紹介します。
だれも気づかぬこと に気づくのは尊い
だれもが 気づいていながらやらぬことを
思いきってやってみるのは 更に尊い
(<広野の花のように>から)
『だれもが 気づいていながらやらぬことを 思いきってやってみるのは 更に尊い』とは、なんと深く、的を得た表現なのだろうと感動しました。
ACのCMの映像は、これを製作した方が意図したか否かにかかわらず、このメッセージをも含んでいるのではあるまいかと思いました。
「行為の意味」の全文をご紹介します。
【行為の意味】
―――-あなたの〈こころ〉はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも〈こころ〉は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに〈こころ〉はだれにも見えない
けれど〈こころづかい〉は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の〈思い〉は見えない
けれど〈思いやり〉はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
〈心〉も〈思い〉も 初めて美しく生きる
―――-それは 人が人として生きることだ
宮澤章二先生は、30年間に亘り埼玉県の中学生のために詩を贈り続けました。詩集「行為の意味」は、その詩の中から選ばれたものです。
●宮澤章二(みやざわ・しょうじ)略歴
大正8年(1919年)6月11日、埼玉県羽生市弥勒に生まれる。
小学校2年生まで羽生で育ち、その後東京の小学校を卒業。昭和18年(1943年)、東京大学文学部卒業。
不動岡高等学校教論を経て文筆業(詩と歌詞)に専念。
作詞関係では童謡・歌曲・合唱曲・校歌・市民歌等を多数手がける。中でも校歌は小・中・高校など300校に及ぶ。日本童謡賞、赤い鳥文学賞特別賞等を受賞。日本現代詩人会会員、日本童謡協会常任理事、日本作詞家協会理事、埼玉詩話会顧問等を歴任。
主な著作は「蓮華」「空存」「枯野」「風魂歌」等多数。クリスマス・ソング「ジングルベル」の作詞者としても知られている。
平成17年(2005年)3月11日逝去。
本日、4月8日、いよいよ新年度が始まり、入学式が行なわれた学校も多かったことと思います。
お陰さまで、我が家の三番面の子(次女)は中学校に、七番目の子(三男)は小学校に入学しました。
小学校の入学式は午後にもかかわらず、三男は朝からそわそわ。よほど楽しみで待ち焦がれていたのでしょう。
親はといいますと、妻が小学校新入生保護者代表で挨拶をするというので、てんやわんや。昨日までに、挨拶文は書き上げ読む練習も何度か済ませていたにもかかわらず、ナント、直前に書き直すことにしたためです。
実は昨晩、準備万端のはずの挨拶文のことがぐるぐると頭の中をめぐり、なかなか寝付けなかったのです。午前3時も回り、「『魂の教育』の一言を入れたい。」という思いに駆られながら床に就きました。
午前に行なわれた中学校の入学式終了後、最終的に、『人格形成の基礎ともなる魂の教育』という文言を加えて書き直し、完成となりました。
読み返しますと、ちょっと力み過ぎ。いや、十分力んでいる感じですが、これからの日本を思うと、これで良かったのだと思います。
果たして、思いは心に届いたでしょうか・・・。 ※挨拶文は 続き に掲載しています。
<新入生保護者代表挨拶文>全文
ただ今 ご紹介にあずかりました、○○でございます。
僭越ではございますが、新入生の保護者を代表いたしまして、ひと言ご挨拶をさせていただきます。
本日は私達の子ども達のために、この様な盛大な入学式を挙行していただき、誠にありがとうございます。これから始まる学校生活を前にして、子ども達とともに、私達保護者は大きな期待と不安な気持ちでいっぱいでした。そんな私達を先生方は笑顔で迎えてくださいました。そして、校長先生をはじめ、ご来賓の皆様からの心のこもったご祝辞を拝聴し、不安な気持ちは吹き飛んでしまいました。今は安堵し、親子ともども無事にこの日を迎え、○○小学校に入学出来ましたこと、心より嬉しく、喜びでいっぱいです。
日本は今、大きな試練の只中にあります。改めて、力強い統率力、艱難に立ち向かう勇気と実行力、そして何よりも 仲間どうし信頼し助け合える心豊かな人材が求められています。
学校におかれましては、限りない可能性を持つ新一年生の子ども達が、自分の持てる力と才能とをいかんなく発揮し、社会に貢献できる人としてたくましく成長できるよう、若い先生には若さと情熱を、ベテランの先生には豊かな経験と愛情を、人格形成の基礎ともなる魂の教育に惜しみなく投入してくださいますように、心よりお願い申し上げます。
家庭におきましては、より一層の愛情を注ぎ、絆を深めながら、子どもの学習意欲の啓発にも努め、保護者としての責任を果たしてまいりたいと思います。
また、○○は、地域ボランティアの方々が皆さん熱心に活動してくださり、たいへんお世話になっているとお聞きしています。学校と家庭と地域とが一つとなって、子ども達により良い環境を整えることができるように、PTA活動など、私たち保護者も、精一杯の力を注ぐ所存でございます。
結びに、校長先生をはじめとする諸先生方のご健勝と、新入生の子ども達の未来が、夢と希望に満ち溢れた輝かしい未来とならんことを祈念いたしまして、誠に言葉整いませんが、ご挨拶とさせていただきます。
平成23年4月8日 新入生保護者代表 ○○○○
創志学園の野山慎介主将の宣誓『生かされている命に感謝し』立教新座中・高等学校の渡辺憲司校長のメッセージ『今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問わなければなりません。』そして、気仙沼市立中学校卒業生の梶原裕太君の答辞『天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。・・・苦境にあっても天を恨まず。』
魂の叫びが、人の心を打ち、力と勇気を与えることを目の当たりにした。
今、魂の教育が求められている。机上の空論ではない、真に人を生かし、生きた共同体を形成する教育が。
● En-ichi教育フォーラム、月刊En-ichiのご紹介、購読のお申込フォーム等はこちらまで。一部ですが、最新号の立ち読みもできます。
どうしたら被災した方々を、特に未来を担う子どもたちを励ませるかを考えていた。しかし、それは、とんでもない驕りだと気づかされた。むしろ、私の方が勇気と力と、そして希望をいただいた。
『苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからのわたくしたちの使命です。』
彼らに報いるためにも、国難の只中にい自分自身の立ち位置を自覚し、自分自身の「使命」を見出し、それを黙々と果たしたい。
<気仙沼市立階上中学校卒業式答辞>より
「階上中学校といえば防災教育」と言われ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。
しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりに無力で、わたくしたちから大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。
辛くて、悔しくて、たまりません。
しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからのわたくしたちの使命です。
階上中学校卒業生代表 梶原裕太
※掲載させていただいた動画ではなく、答辞の部分だけの動画に寄せられたコメントです。
繰り返し視聴しましたが、何度見ても涙を禁じえません。
15歳の少年がこれだけのことが言える教育を実現した学校やコミュニティーはなんとしても再建しなければなりません。 被災以外の地域もこの教育を範とすべきです。
頑張れ東北の中学生!
kamo58jp
今、日本人全員が見るべき動画だと思います。アップありがとうございました。
想像を絶する経験をし、未だに悲惨な状況下にあって、「天を恨まず」
こんな高潔な言葉を人間、それも15歳の少年が言えることに感服しております。
今、頑張るのは被災しなかった私達です。彼らは頑張りすぎるくらい頑張っています。
paisely0216
まもなく入学式を迎えようとしています。新しい出発を思えば思うほど、先月、話題になった(埼玉県)立教新座中学校・高等学校の渡辺憲司校長のメッセージが気になり、心に刻みたいという衝動が湧いてきます。
自分自身の内面を観察したとき、昨日取り上げた創志学園野山主将の選手宣誓もそうですが、その時だけ心に響き過ぎ去るものでは無く、今を新たな出発点とし、これからどう生きどう行動するべきか。将来にわたり自分自身を導いてくれる羅針盤とも言える言葉を求めていることを感じます。
将来を担う感受性豊かな若者たちが、新しい出発に際して明確な動機と目標を持ちながら、威風堂々と学び舎へと向かう姿にエールを送りたいと思います。
<卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)>より一部抜粋
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
<卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)>全文
【立教新座中学校・高等学校ホームページ】
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
<卒業式を中止した立教新座中学校三年生諸君へ。(校長メッセージ)>全文
【立教新座中学校・高等学校ホームページ】
「大変な思いをしている方々の情景を思い浮かべた。被災地に元気や感動を与えられるような、いい大会にしたい」創志学園野山慎介主将の偽らざる熱い思いは、被災地の人々のみならず、日本中の人々を感動させ、勇気と力を与えてくれたに違いない。
【サンスポ】
http://www.sanspo.com/high-baseball/news/110324/hga1103240505001-n1.htm
<宣誓全文>
宣誓。
私たちは16年前、阪神大震災の年に生まれました。
いま、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は仲間に支えられ、大きな困難を乗りきることができると信じています。
私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
「がんばろう!日本」。
生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
【スポーツ報知】
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/baseball/hs/news/20110323-OHO1T00045.htm