ブログ 2013年5・6月


‎0・1・2歳の乳幼児が親心を育てる。人類にとって、永遠に残すべき名言だと思います!

06.12 衆議院社会保障・税特別委員会公聴会 松居和氏[14:22]

元埼玉県教育委員長の松居和氏が衆議院社会保障・税特別委員会公聴会に招かれました。

述べられた内容は、親心を育てることが如何に重要かというもの。既によく知られたもので、以前にご紹介させていただきましたが、僅かの短い時間にものの見事にポイントをついて話されたので、改めてここに掲載させていただきました。

 

0・1・2歳児の子育てを通り過ぎてしまった立場としては、貴重な時機を活かせていない事を悔やみます。乳幼児の子育て真っ最中の方やこれからの方には、是非、参考にしていただきたい内容です。

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「魂のミッション」に目覚める者となろう

 「魂がうち震えるような授業をやって下さい」と言いたい。先生自身が言葉に詰まって泣き出しても構わない。子どもたちも泣き出して、言葉にならなくても構わない。皆がうち震えるような授業を、年に一度はやるべきではないでしょうか。(中略)授業のテクニックではありません。自分の魂をうち震わせながら語れば、子どもたちの魂も震えてくる。これは何よりも大事なことではないでしょうか。

 

 人間は、「私の人生はこのためにあったのだ」「これをするために私は生まれてきたのだ」という、自分のミッションに気付く瞬間がある。これを見つけることができたとき、人は初めて自分の人生を心の底から肯定できるようになるのではないか。


 「魂のミッション」目覚める者となろう <明治大学教授 諸富祥彦> より

 

 大変手前味噌ながら、以前、学習塾で教えていた頃、授業中に言葉に詰まって泣き出したことが一度だけある。しかもその時は、普段の生徒と一緒に、入塾を検討するためにお試し授業を受けに来たお子さんとお母様とが目に前にいらした。

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 自分自身でも予期せぬ行動だった。目の前の子どもたちの心に、今この瞬間に灯火を燃やさなければ、という衝動からからだったと記憶している。

 

 いつどんな風に何を教えたかは忘れても、この瞬間だけは脳裏に深く刻み込まれている。

 あれから20年経った今。30歳を過ぎたであろうあのときの子どもたちに無性に会いたくなった。


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金環日食 ダイジェスト版 an annular solar eclipse

 産経新聞社によるライブ中継録画のダイジェスト版が掲載されたのでご紹介します。

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金環日食に感動!


 地元で見られる、人生最初で最期の金環日食を見ました。

 肉眼では小さくしか見ることが出来ませんでしたが、記録動画のお陰で、その一瞬一瞬を確認することが出来ました。

 

 我が家の小学生の子どもたちは、時間を早め、元気に登校していきました。

 学校での観測会の様子を後で聞いてみたいと思います。

 

 産経新聞が初めて挑んだというライブ中継の録画をご覧ください。

 記録動画の時間は全体としては長いので、キャプチャ写真(クリックで拡大出来ます)を参考に、名シーンをご堪能ください。50分頃からが日食(フィルター撮影)が始まります。

こちらも、白くまばゆく輝くリングがなんとも美しいです。

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Lindocに月刊En-ichiのバックナンバー登録を始めました。

※画像をクリックするとLindocへ
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 サーバー上に本棚を持ち、PDFファイルを共有することができるLindocに、少しずつですが、月刊En-ichiのバックナンバーの登録を始めました。

 本棚にダウンロードしておけば、資料として保管し、かつ、どこのデバイスからでも呼び出し、読むことが出来ます。

 更に、資料として活用しながら、他の資料や研究成果等を論文やレポートにまとめ、PDFファイルとしてLindocに登録することによって、ファイル管理することも出来ますし、また、多くの人に見ていただけるように発信源の一つとすることもできます。

ぜひ、ご活用ください。

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『庭球する心』が支えてくれた青少年期の10年間

この一球は絶対無二の一球なり
されば身心を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛へ
精神力を養ふべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心といふ

 

 これは、1920年代に活躍した日本テニス界の往年の名選手、福田雅之助(1897年 - 1974年)による有名な「庭球訓」。私が知ったのは、確か、アニメ「エースをねらえ!」の中だったような気がする。

 

 中学、高校、大学と続く黄金の青少年期とも言える10年間。私が最も打ち込んだのが軟式テニスでしたが、それは、挫折と復活の繰り返しでした。

 

 中学へ入学した4月。親友と共にテニス部に入部したのも束の間。体力と精神力の乏しかった私は直ぐに挫折してしまい、退部。その後は、美術部に籍を置くことに。

 翌年1月になると、親友たちから再びテニス部への入部を誘われ、その友情に支えられて再入部。

 その後は体力も精神力も技術もつき、引退間際の大会では某大会で決勝まで行きながらも・・・、負けてしまいました。が、心はこの上なく晴れ晴れとしていました。

 

 高校では、インターハイ出場を目指し、打ち込んだのも束の間、今度は顧問の先生と合わず、またまた挫折して退部。その後は、またもや、美術部に籍を置くことに。

 美術部では、芸術に打ち込む仲間と顧問の先生からの良い刺激を受け、いつしか美術大学を志すようにまでなっていました。

 

 入学した美術大学では、一番打ち込んだのが、やはり何と言っても軟式テニスでした。

 インターハイや国体出場経験もあり人格的にも素晴らしい先輩や仲間に囲まれながら、テニスの醍醐味をとことん味あわせていただいたお陰で、学業もさることながら、忘れられない充実した4年間となりました。

 

 10年間で得た絶対無二の宝である仲間や師と呼べる先生に出会うことができたのも、絶対無ニの一球に注ぐ精神を教えてくれた『庭球する心』だと、感謝の思いで一杯です。

 新しい月の初めに、思い悩んだ丁度40年前を回想しながら、思うがままに綴りました。

 

 

※福田雅之助氏の直筆の写真は、早稲田大学庭球部公式ウェブサイトからお借りしました。

http://www.waseda-tennis.com/slogan/index.html 【「この一球」のページ】

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