学校は防災の拠点。町づくり国づくりの拠点。

仙台市立荒浜小学校
仙台市立荒浜小学校

 昨日で3月11日から49日が経ちました。

 東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 一ヶ月前の3月27日~28日と、仙台市に住む友人の支援のため、仙台市に行きました。

 その際、友人の案内で甚大な被害に見舞われた仙台市若林区荒浜地区を訪れました。

 一面、未だ残る海水と瓦礫の山。住宅はどれ一つとして原型を留めるものはなく、殆どは基礎の部分を残したのみで、津波の脅威に唖然として、言葉が見つかりませんでした。

 200人~300人ものご遺体が上がったと言われる砂浜に行きと、そこにあるのは荒れ狂う海ではなく、あまりにもの静けさを取り戻した海でした。自然の前に為す術のない小さき人間の一人として、ただただ頭を垂れ、御霊に黙祷を捧げました。

 帰り道、あたり一面瓦礫の中、夕焼けに浮かび上がる小学校の建物が目を引きました。

 後日、ネットで検索してみると、動画やニュース記事で小学校にいた先生や子どもたち、ここに駆け込んだ住民たちは屋上に避難して助かったと知りました。

 http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY201103120543.html

 

 昨日は、地元小学校のPTA歓送迎会が行われ、前PTA顧問として出席しました。

 開催するべきか中止するべきか、PTA会長は悩みに悩んだ結果、開催すると判断したと挨拶で述べていました。

 会の最後の締めをお願いされ、どんな挨拶をするべきか思いを巡らしたとき、ふと、上記のことを思い起こし、挨拶の中で触れました。

 

 『…。学校というのは、いざという時、正に地域防災の拠点となっていますが、平素は町や国の将来を担う子どもたちを教え育む大事な拠点である、と認識を深めました。

 地域の絆や家族の絆の大切さが改めて叫ばれている今、小学校でのPTAの果たす役割はますます求められています…。』

 

 一国が、隆々と発展していくか、やがて衰亡していくかは、その国の青年たちを見ればわかると言われます。

 戦前・戦後と時代を区分した昭和であり20世紀でしたが、平成であり21世紀の初頭の今はまた、震災前・震災後と時代を区分するような大きな節目に立っています。

 ともすると気持ちが沈み込んでしまいそうな只中ではありますが、こういう時だからこそ、これまでの閉塞感から抜け出して大きく飛躍できるように、未来ある子どもたちを今まで以上にしっかりと育てていきたいと決意を新たにしました。

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コメント: 1
  • #1

    金田文彦 (木曜日, 05 5月 2011 17:46)

    震災後は2回ほど車で走りました。
    震災前はよく行った場所なので、家や景色を思い出し、言葉がありませんでした。
    涙を禁じえません。